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Johann Baptist Cramer
(1771年2月24日 - 1858年4月16日)

ヨハン・バプティスト・クラーマー(Johann Baptist Cramer, 1771-1858)は、ドイツ出身の英国のピアニスト・作曲家。マンハイムに生まれるが、英国で活動するヴァイオリニストの父ヴィルヘルム(Wilhelm Cramer, 1746-1799)と合流するため、幼くして母に連れられロンドンへと渡った。初めは父からヴァイオリンを教わったが、彼はやがてピアノにおいて著しい才能を現し、7歳の頃からベンサー(John Daniel Benser, ?-1785)、1780年からシュレーター(Johann Samuel Schroeter, 1752頃-1788)、そして1783年からクレメンティに師事した。このうち、クレメンティの指導は、1年間ほどしか続かなかったものの、彼にとって実りあるものであった。1785年からは、C.F.アーベルの下で音楽理論を学んでいる。一方、J.S.バッハ、C.P.E.バッハ、J.C.バッハ、D.スカルラッティ、ハイドン、モーツァルト等の作品の研究を通じても、自身の音楽性を培っていった。

クラーマーは、1781年、父の演奏会においてピアニストとしてデビューした。1788年には大陸への演奏旅行を開始し、フランスやドイツの諸都市を巡った。1791年にロンドンへ戻ってからは、たちまち英国の第一級ピアニストとして評判を上げ、プロフェッショナル・コンサート(Professional Concert)やザーロモン・コンサート(Salomon Concert)といった主要な演奏会でソリストを務めている。1799年には再び大陸へ渡り、オランダ、ドイツ、オーストリアなどを訪れた。その際、ウィーンでベートーヴェンに出会っている。

師のクレメンティと同じく、クラーマーも音楽出版事業に手を延ばした。1806年には「Cramer & Keys」という会社に携わり、1810年にはチャペル(Samuel Chappell, 1782頃-1834)の事業に参加した。1824年にアディソン(Robert Addison, 1797-?)、ビール(Thomas Frederick Beale, 1804-1863)とともに設立した楽譜出版社「J.B. Cramer, Addisson & Beale」は、「J.B. Cramer & Co.」として今なお存続している。

クラーマーは、1835年に公式の場での演奏から引退した。その後、ミュンヘンやウィーンを訪れ、それから長い期間パリで過ごしている。1845年にはロンドンに戻り、1858年、ケンジントンの自宅にて87年に及ぶ生涯を閉じた。

クラーマーは、ベートーヴェンが称賛したと伝えられるほど傑出したピアニストであり、特に表現豊かなレガート奏法に秀でていたといわれている。例えば、モシェレスは、「[クラーマーは]モーツァルトのアンダンテを声楽曲同然に変貌させる」と述べている(ただし、取るに足らない独自の装飾を付け加えている点について非難もしている)。

クラーマーは、100曲以上のソナタ(ピアノ独奏用のほか、ヴァイオリンやフルートなどの助奏付きのものを含む)、9曲のピアノ協奏曲、室内楽曲、練習曲、ディヴェルティメント、ロンド等の作品を残した。今日では、Opp.30、40、81からH.v.ビューローが60曲を抜粋し再構成した練習曲集、いわゆる「クラーマー=ビューロー」が専ら知られている。

作曲家名の別表記: John Baptist Cramer
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