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Julian Fontana
(1810年7月31日 - 1869年12月23日)
Julian Fontana
IMSLP Petrucci Music Library より 加工・転載

ユリアン・フォンタナ(Julian Fontana, 1810-1869)は、ポーランド出身のピアニスト・作曲家・著述家。ワルシャワ生まれ。ワルシャワ大学で法律を学ぶ傍ら、ワルシャワ音楽院でエルスナーの指導を受けた。音楽院ではショパンと同級生になり、親密な友人関係を築くこととなった。

1830年のポーランド11月蜂起が失敗に終わると、それに加担していたフォンタナは出国を余儀なくされ、ハンブルグを経て、1832年にパリへと移った。1833〜36年にはロンドン、1844〜45年にはキューバ、1845〜51年には米国で過ごしている。米国では、ヴァイオリニストのシヴォリとの共演も行った。

その後、フランスに戻り、1855年には、亡き親友ショパンの遺作(Opp.66〜73)の出版を手掛け、1859年には、さらに遺作歌曲(Op.74)を世に出している。晩年は、聴力障害に悩まされ、音楽活動から退かざるを得なくなり、1869年、孤独と貧困の中、自ら命を絶った。

作品には、数十点のピアノ曲や歌曲がある。

作曲家名の別表記: Jules Fontana
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