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Jan Bedřich Kittl
(1806年5月8日 - 1868年7月20日)

ヤン・ベドジフ・キットル(Jan Bedřich Kittl, 1806-1868)は、ボヘミアの作曲家。オルリーク(Orlík)城で生まれる。父はそこで裁判官の職に就いていた。キットルは、幼い頃より城の音楽教師から教育を受けピアノの演奏を習得した。後に学校へ通うためにプラハへ移るが、そこでは、初めはとあるアマチュアから、続いてサヴォラ(Sawora)という名の音楽家からピアノの指導を受けたという。彼は、和声や対位法の理論を習得するよりも先に大規模な作曲に挑戦し、ミサ曲や歌劇《ダフニスの墓 Daphnis Grab》(1825)を書き上げている。その後、彼はプラハ大学で法学を専攻しながら、トマーシェクから和声法を学んだ。法学を修めてからも、財務に携わる役人を志す傍ら、同師から対位法の指導を受けている。最終的に、彼は法律家としての道を絶って音楽に身を捧げた。

1836年に開いた演奏会では、自作の九重奏曲や七重奏曲、歌曲等を披露したところ、音楽新聞から前途有望な作曲家として評価された。1842年にプラハ音楽院の学長フリードリヒ・ディオニス・ウェーバーが死去すると、キットルはその地位を引き継ぐこととなった。彼は、1865年までその職を務め、その後、ポーランドのレシュノに隠退している。

作品は、歌劇(リヒャルト・ワーグナーの台本による《ビアンカとジュゼッペ、またはニースのフランス人 Bianca und Giuseppe, oder Die Franzosen vor Nizza》(1848)等)、ミサ曲、交響曲(《第2番「狩」 Op.9》等)、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲など多岐のジャンルに亘っている。

作曲家名の別表記: Johann Friedrich Kittl、Jean Frédéric Kittl
作品番号タイトル
Op.16つの牧歌
Six Idylles
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