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Alfred Lefébure-Wély
(1817年11月13日 - 1869年12月31日)

アルフレッド・ルフェビュール=ヴェリー(Louis James Alfred Lefébure-Wély, 1817-1869)は、フランスのオルガニスト・作曲家。パリ出身。サン=ロッシュ教会でオルガニストを務める父アントワーヌ(Antoine Lefébure-Wély)から音楽の手ほどきを受け、たちまち才能を現した彼は、8歳の頃には、左半身不随となった父の代理としてオルガニストを務めるようになり、1831年に父が亡くなると、正式にその後任に就いている。

1832年には、パリ音楽院に入学し、ピアノをジメルマンとローラン、オルガンをブノワ、作曲をアレヴィとベルトンに師事するが、それだけでは満足せず、A.アダンやセジャンからもプライベートでレッスンを受けた。音楽院の選抜試験では、ピアノとオルガンにおいて1834年に二等賞、1835年には同二部門で一等賞を獲得している。

1847年、ルフェビュール=ヴェリーは、マドレーヌ教会のオルガニストに就任した。1858年には、作曲活動に専念するためその職を辞すが、1863年には、かつて師セジャンがオルガニストを務めていたサン=シュルピス教会において再びオルガニストの職に就いている。1850年にはレジオンドヌール勲章を受章している。

ルフェビュール=ヴェリーは、ピアノ曲やオルガン曲、ハーモニウム曲のほか、歌劇《徴募官 Les Recruteurs》(1861年初演)、カンタータ《勝利の後に Après la victoire》(1863年初演)、交響曲、室内楽曲など多岐のジャンルで作品を残している。今日では専らオルガン曲の作曲家として知られているが、かつてはピアノ曲も高い人気を誇っており、《修道院の鐘 Op.54-1》は特に人口に膾炙した作品であった。

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