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Daniel Steibelt
(1765年10月22日 - 1823年10月2日)

ダニエル・シュタイベルト(Daniel Gottlieb Steibelt, 1765-1823)は、ドイツ出身のピアニスト・作曲家。ピアノ・チェンバロ製造者の息子としてベルリンに生まれた彼は、幼くして音楽の才能を現し、それに注目したプロイセン王子(後の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世)は、当時宮廷の音楽監督であったキルンベルガーの指導を受ける機会を彼に与えた。その後、彼は父によって軍隊に入隊させられるが、1784年頃には軍隊を抜け出し、ベルリンを離れてピアニストとして放浪の旅に出た。1788年にはミュンヘンで最初のヴァイオリンソナタが出版され、1789年にはザクセンやハノーファーで演奏会を行ったことがわかっている。

シュタイベルトが、パリに腰を落ち着けたのは1790年のことであった。彼は革命以前にもこの都市を訪れたことがあった可能性が高く、ヘルマン(Johann David Hermann, 1764-1852)とともに、マリー・アントワネット王妃のために《ピアノソナタ『ラ・コケット La coquette』》を1楽章ずつ作曲して勝負したところ、シュタイベルトに軍配が上がったというエピソードも伝わっている。1793年にはセギュール子爵(Joseph Alexandre Pierre vicomte de Ségur, 1756-1805)の台本による歌劇《ロメオとジュリエット Roméo et Juliette》が成功を収め、シュタイベルトの名声は確固たるものとなるはずだったが、既に出版されている作品に僅かな改変を加えただけのものを新作として出版社に売り出すという詐欺まがいの行為により彼の評判は傷つき、1796年末頃にはパリを離れロンドンへと向かうこととなった。

シュタイベルトのロンドンでの初舞台は、1797年5月1日の催されたザーロモンの慈善演奏会であったと考えられている。その翌年には、《ピアノ協奏曲第3番『嵐 L'orage』 Op.33》が初演され、嵐の様子を模倣した終楽章のロンド・パストラルは長年に亘って高い人気を誇った。シュタイベルトは、ロンドン滞在中にピアノとタンバリンを演奏する若い英国人女性と結婚した。それ以降、彼はタンバリンの伴奏付きのピアノ小品を多数書き、彼女と共演している。

1799年後半、シュタイベルトは大陸への演奏旅行へ出発した。ハンブルク、ドレスデン、プラハ、ベルリンを経て1800年5月に訪れたウィーンでは、ベートーヴェンとピアノの対決をしたが、ベートーヴェンの圧勝であった。心を折られたシュタイベルトはかつて名声を誇ったパリへと戻った。1800年のクリスマス・イヴには、ハイドンのオラトリオ《天地創造》(シュタイベルトによる改変を含むセギュール子爵による仏訳版)をパリ初演している。1802年からは再びロンドンで過ごし、2つのバレエ音楽《羊飼いの審判 Le jugement de berger》(1804)、《美しい牛乳売り La belle laitière》(1805)をそこで初演している。1805年にはパリへ戻ったが、1808年には債務から逃れるためにその地を離れた。

1809年、シュタイベルトはサンクト・ペテルブルグに到着し、1823年に亡くなるまでそこで過ごした。1810年の末にはボワエルデューの後任としてフランス・オペラ座の監督に就任している。1814年頃には演奏活動から退いたが、1820年に《ピアノ協奏曲第8番》(未出版)の初演で再び舞台に立った。この協奏曲は合唱付きのバッカナール風ロンドを終楽章に擁している。

シュタイベルトの性格に関しては、虚栄心が強く、傲慢、不誠実、浪費家であったなどといった悪評が伝えられている。ピアニストとしては、右手の華麗な技巧に対して、左手はぎこちなかったといわれている。また、遅いテンポでの演奏も苦手としていたようで、それを自覚してか、彼の書いたソナタには緩徐楽章を欠いた2楽章で構成されるものが多い。ただし、シュタイベルトは欠点ばかりではなく、トレモロ奏法やペダル技法の開発などピアノ音楽の発展に少なからず貢献していることを付け加えておきたい。

作品には、歌劇、バレエ音楽、8曲のピアノ協奏曲、ハープ協奏曲、6曲の弦楽四重奏曲、3つのピアノ五重奏曲(Op.28)、ピアノ四重奏曲、ピアノ三重奏曲、多数のソナタ(ピアノ独奏用のほかヴァイオリン等の助奏付きのものを含む)、多数のピアノ小品、歌曲などがある。ピアノ曲の中では《練習曲集 Op.78》(1805)が高く評価されている。シュタイベルトの作品は、全体的な構成力に欠けている一方で、部分的には優れた着想が現れていると評されており、当時として斬新な転調法や管弦楽法など独創的な試みの存在も指摘されている。

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