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Albert Loeschhorn
(1819年6月27日 - 1905年6月4日)

アルベルト・レシュホルン(Carl Albert Loeschhorn, 1819-1905)は、ドイツのピアニスト・作曲家。音楽家の息子としてベルリンで生まれた彼は、5歳から音楽を学び始めてたちまち才能を開花させた。1837年からはL.ベルガーに師事し、ベルガーの死後は王立教会音楽学校でA.W.バッハ、グレル、ベルガーの弟子であったキリッチギー(Rudolph Killitschgy, 1797頃-1851)の下で学習を継続した。1851年にキリッチギーが亡くなると、レシュホルンはその後任の講師となり、1858年には教授に就任している。また、彼は1846[1847?]年にシュタールクネヒト兄弟(Adolf Stahlknecht, 1813-1887, ヴァイオリニスト; Julius -, 1817-1892, チェリスト)とトリオを結成し、1853年にはロシアへの演奏旅行も実施し成功を収めている。

作曲家としては、作品番号にして200に及ぶ作品を残しているが、そのほとんどがピアノ曲である。サロン向けの小品の他、練習曲やソナタ、ソナチネのような教育的作品があり、いくらかの練習曲は今日でも親しまれている。また、『ピアノ文献の道標 Wegweiser in der Pianoforte-Literatur』(1862, J.ヴァイスとの共著)や『ピアノ文献の手引書 Führer durch die Klavierliteratur』(1885[1886?])のような著作も出版している。

《花の歌》等のサロン小品で有名なランゲもレシュホルンの弟子の一人であった。

作曲家名の別表記: Albert Löschhorn
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