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Amédée Méreaux
(1802年9月17日 - 1874年4月25日)

アメデ・メロー(Jean-Amédée Le Froid de Méreaux, 1802-1874)は、フランスのピアニスト・作曲家。パリ出身。父ジャン=ニコラ(Jean-Nicolas Le Froid de Méreaux, 1767-1838)と祖父ニコラ=ジャン(Nicolas-Jean Le Froid de Méreaux, 1745-1797)はともに音楽家であり、アメデは前者からピアノの手ほどきを受けた。両親は息子を弁護士の職に就かせることを望み、彼はそのための教育を受けさせられたが、その傍ら、10歳の頃からレイハの下で和声法を学び始めている。14歳の時には父の計らいで最初の作品が出版されるに至った。中等学校を修了してからは、レイハから更に対位法やフーガの指導を受けて研鑽を積んでいる。

1828年、メローは、中等学校時代の同級生であり友人であった考古学者ルノルマン(Charles Lenormant, 1802-1859)を介して、ボルドー公のもとでピアニストの職を得たが、1830年には革命の影響でその職を失うこととなった。その後、フランス各地を巡演し、1832〜33年にはロンドンに滞在、1835年にルーアンを永住の地に定めた。そこで、彼は作曲家やピアノ教師として活動するのみならず、音楽著述家としても『ルーアン新聞 Journal de Rouen』や『世界報知 Moniteur universel』に数多くの記事を寄稿した。音楽家であるとともにに教養人であった彼は、1858年には帝立ルーアン科学・文芸・芸術アカデミーの会員に選出され、1865年に会長となった。1868年にはレジオンドヌール勲章を受章している。

メローは、作品番号付きのものだけでも120あまりの作品を残した。多数のピアノ曲のほか、室内楽曲、ミサ曲、カンタータ等があり、ピアノ曲の中では、フランス学士院の承認を受け、パリ音楽院でも教材として採用された《自由な形式と厳格な形式による60の性格的奇想曲から成る大練習曲集 Op.63》が特筆に値する。また、メローは、古典音楽の研究家としても学識を発揮し、その成果は、フレスコバルディからJ.B.クラーマーに至る様々な古典鍵盤作品を収めた曲集『1637年から1790年のクラヴサン奏者たち Les clavecinistes de 1637 à 1790』(1864-67)に結実している。

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